2017年1月10日火曜日

山田正亮 光抱く絵画 「endless山田正亮の絵画」展

「見ることの誘惑」第四十八回
「光を抱く絵画」
山田正亮 「Work C-2731966年 162×130cm 埼玉県立近代美術館所蔵

              山田正亮 「Work C-2731966

ペイントストロークの微妙で多様な痕跡が残されたホワイトの表面。
空漠としたホワイトがかすかに波立っている。眼の中で生産される色彩を描いたクロード・モネやアルフレッド・シスレーは好んで雪原を描いた。ホワイトは太陽光の下で多様な色彩を生みだすからだ。モネの「かささぎ」では、ホワイトの雪原にモネの眼がとらえた網膜現象のさまざまな色彩が実際に定着されている。

             クロード・モネ かささぎ 1869年

しかし、山田正亮の「Work C-273」では、見る位置とライトの具合で、ホワイトが光を反射して、ときおり、そこには定着されていない色彩がきらめくばかりだ。描かれているのはホワイトだけ。ほかの色彩は文字通りの網膜現象として、見る者の眼のなかにだけ出現する。

画面の中央部分には眼差しを集中させる形や色がない。
だから、ホワイトの表面は上下左右の画面のエッジに広がっていく。四辺のエッジではグレーの下地がわずかに見える。ムラムラした不規則なホワイトのフィールドのエッジと、それとは異質な画面の規則的な直線の縁。二つが接近と反発でせめぎ合う。
せめぎ合いによって、画面の縁はキャンヴァスという「物体」の縁ではなく、ホワイトのフィールドに拮抗する「絵画」としての形になっている。
マーク・ロスコやロバート・ライマンの絵画と比較すればわかりやすい。

キャンヴァスという矩形の表面は、一方で、ホワイトが描かれることで、ホワイトとは違う色彩をうみだす。ホワイトそれ自体であることで、それ自体の状態からそれ自体とは異なる色彩の状態に変貌する。
もう一方では、矩形の縁は、描かれたホワイトと絡み合って、絵画としての形になる。「物」が「絵」に変身する。

山田正亮は、絵画を、作者の抒情的的反応の道具や、感情移入の奴隷にすることを拒絶する。作者から突き放し距離をおいて、絵画の中から自発的に現れてくるものをとらえようとした。「自己表現の絵画」を拒否して、「客体としての絵画」を掘り起こしたということになる。
あるいは、こんな言い方もできるかもしれない。山田は、絵画という子どもに親(作者)のエゴをおしつけたり、過干渉したりせずに、その子なりの、そして、その子にしかできないオンリーワンの能力を自分で発揮できるように育てようとした。絵画自体の自発的な表現を育む。それが絵画の自律性だ。山田正亮はそう確信していた。

別なポジションから見てみると、これは、突き放しの放任主義ともいえる。だから、絵画は自然の「物」の状態、すなわち「客体」に近づく。生れたままの状態を大切にしながら育んだのだ。その結果、作者の表現性(言いたいこと)は後退して、絵画自体の発言力が増したのである。
こうした事態をアメリカの1960年代のミニマル・アートの作品に見いだしたアメリカの評論家マイケル・フリードは、ミニマル・アートをリテラリスト(文字通りの)・アートと名づけて、それの特徴は「劇場性theatricality」だと指摘したのだった。「劇場性theatricality」とは、普遍的な表現をもたない芸術がもたらす効果だと断罪した。もう半世紀前の出来事だ。そこでは、作品の自律性は逆に失われていく。
フリードが、ここから、「theatricality」に対立する概念としての「没入absorption」を駆使して、ギュスターフ・クールベなどの絵画を読み解いたのはよく知られている。

Work C-273」制作で、山田が自らに課した課題はこうだったのだと思う。
課題=与えられた矩形の平面に、の具で描いて、平面が持っている自的な表現性を引きだして絵画にする。
課題制作の条件=形体と色彩をエコノミーにしたミニマリストな方法を使う。
到達目標=Less is more。見る者の想像力に応じてイメージ豊かな「劇場」になるような絵画。
(はやみ たかし)

*このテキストは次の展覧会から取材しました。
endless 山田正亮の絵画展」東京国立近代美術館美術館 2016126日〜2017212
*早見堯は山田正亮の絵画について「東京国立近代美術館「現代の眼」16.12-17.01」に寄稿しています。参照画像平体文枝「告げる鳥」

*早見堯の評論は次の雑誌でも読むことができます。
ART TRACE PRESS NO.4」 201611月発行、評論6点の特集。
ART TRACE PRESS NO.2」 2014年、「山田正亮特集」

2016年12月11日日曜日

小鶴幸一 Grid Composition 幾何学と繊細さ

 「見ることの誘惑」第四十七回
幾何学と繊細さ
小鶴幸一 「Grid Composition-CVB2016年 85×85cm


             Grid Composition-CVB2016年 85×85cm


小鶴幸一の最近の絵画は「グリッド・コンポジション」と名づけられている。使われる色彩はグリーンとレッド・オーカー、ブルー、それにブラック。フラットな色面とグリッドの組み合わせの様子で多少異なる彩度や明度で使われる。色面とグリッドは、ハード・エッジでフラットな接合や並置にもかかわらず、それとは違う重なりや「ずれ」などを視覚的な現象として生じさせ、画面にかすかな波立ちを与えている。
その結果、凛として爽快、たおやかにして優美な雰囲気がうまれている。ハードで人工的な器にソフトで自然的な気分が宿っているといってみたい。ピュアなのにセンシブルだ。

Grid Composition-CVB」を見てみよう。
正方形の画面が太いブラックの仕切り線でグリッド状に四分割されている。画面の上下左右の中央に仕切り線が配置されているので、上下と左右とで対称の静的な構図だ。
けれども、他の三つの正方形よりも大きい右上のグリーンの正方形は、画面のフレームにかかっていて、他の三つと違い、上と右に向かう広がりを感じさせる。そうすると、左下のホワイトの正方形と対角線上で関係づけられる。それにともなって左上のグリーンと右下のブルーの色面も斜めの関係をもつ。
右上のグリーンの正方形によって、対称的な基本構図がわずかに差異化され、ずらされて、静謐なままで、それとは異質なかすかに揺れる収縮と拡張のリズムをかもしだしている。
東京のギャラリー58で、これと同じ構造でサイズの小さい絵画を見たとき、わたしは、なにげなく、根津美術館にある尾形光琳の「燕子花図屏風」を連想してしまった。なぜなのだろうか。

                                               尾形光琳「燕子花図屏風」6曲一双の右隻

「燕子花図屏風」は金地に緑青のグリーンの葉と群青のブルーの花弁が細いブラックで縁取られている。グリーンとブルーの燕子花は、光をたたえた金地の平面上で重なったりずれて融合したりしながら配置されている。厳しいフラットな構図のなかで、燕子花は優美なリズムをたずさえながら凛として息づいている。こうした雰囲気が「Grid Composition-CVB」に「燕子花図屏風」が、わたしのなかでずれながら重なった理由なのかもしれない。

Grid Composition-NUB」はどうだろうか。
                                         Grid Composition-NUB」2014年 164×68.5×4.5cm

Grid Composition-CVB」とは反対に、垂直方向で建築的に構図がつくられている。視線を分散させ面の境界をやわらかくするブルーの縦長の色面に、視線を透過させるが、形にメリハリをつけるブラックのより縦長のグリッドが、寄り添うように並置されているので、色面とグリッドが前後で重なっているかのようなイリュージョンが生まれている。
画面上方ではグリッドが後ろで色面が前、それ以外ではグリッドが色面の前にあるかのように見える前後での重なりと「ずれ」。しかし、それは、画面の最下部で色面とグリッドが水平にそろえられていることでフラットにバランスをとり直している。大地に根づいた巨木や高層建築に似た雄大で力強く、それでいて、伸びやかな開放感が生まれている。
Grid Composition- NUB」は、人工的で幾何学的なハードな構造体が、自然的で「繊細」なソフトなフィーリングをたたえているル・コルビュジエの建築にとてもよく似ている。
ここでは、理性的なものが感性的なものと、あるいは、幾何学的なものが「繊細」なものと絶妙なバランスで共存している。

ここで、こんな逸話を想いだしてみたい。
理性的なエレメンタリズムのアブストラションを創始したピート・モンドリアンは、大戦のさなかの1940年、ニューヨークに移り住む。「アメリカで見たもっとも興味深い作品」だとモンドリアンがペギー・グッケンハイムに進言したのは、ジャクソン・ポロックが反理性的なオートマティスムを応用して描いたモンドリアンとは正反対の「速記の人物」(1942)だ。

                             ジャクソン・ポロック 「速記の人物」 1942年

ペギーの二十世紀美術画廊で開催された「ヤングアーチストの春のサロン」展(1943)で展示された。モンドリアンは自分の絵画の外観とは逆のセンスももっていたわけだ。
ル・コルビュジエと同じように、モンドリアンは、理性と感性、幾何学と「繊細」とのバランス感覚が絶妙だったのである。
小鶴幸一の「グリッド・コンポジション」は、絵画のこうした場所に位置している。

(はやみ たかし)
*このテキストは次の展覧会図録のために書かれました。
「小鶴幸一展」ギャラリー58  201695日〜10日 東京
       ギャラリーとわーる 20161115日〜27日 福岡


                                                                                

2016年11月11日金曜日

水本修二 「空間関係」ー「身体感覚と空間」

「身体感覚と空間」

水本修二 「空間関係」 
      高さ約400cm 直径約400cm 耐候性鋼 ステンレス
      北海道子府町 レクレーション広場(協成)
      ※東京、青山の「こどもの城」から移転設置 

         セレモニーで挨拶する水本修二ご子息と展示風景(撮影 伊藤誠

彫刻は設置場所と深い関わりがある。
ミケランジェロの「ダヴィデ」はフィレンツェ共和国の再出発の決意表明のために、市庁舎ヴェッキオ宮殿前のテラスに置かれなくてはならなかった。
パリで生まれた「自由の女神」は、パリからニューヨークに運ばれて、自由を具体的に実現するアメリカの象徴として啓蒙の灯明を高く掲げて、その地に根づいている。

東京、青山の「こどもの城」から生まれ故郷、北海道子府町に移転設置された水本修二の記念碑的な彫刻「空間関係」はどうだろうか。

空間を抱きかかえながらやわらかい曲面を描く鋼板。それに、ふわっともたれかかる厚みのある矩形のステンレス板。
曲面と矩形のように、鋼板とステンレス板は、とても対比的だ。光沢のない鋼板に対して光沢のあるステンレス板。暗いグラデーションを漂わせながら空間を巻きこむ鋼板に対して周囲の空間を反映して輝くステンレス板。
二つの関係のあり方が作品のポイントだ。

けれども、異質な二つの関係だけ見ていては水本の作品を見たことにはならない。
対比的な二つは、強く自己主張してはいない。むしろ、自分の存在を軽く希薄にして、周囲の空間に融けこんでいる。そうして、二つの物体の存在感や関係よりも、二つが関わって生成している空間を顕在化させている。

もう一つ注目したいことがある。
重い二種類の鉄が、重さから解き放たれて、さりげなく、置かれているかのようではないか。わたしたちが、作品を見るために立っているのと同じ地面の延長線上、すなわち、わたしたちの日常が営まれているのと同じ場所に作品が置かれているのである。
曲面状の鋼板の緩やかな動き、矩形のステンレスのもたれかかりの均衡の危うさ。高さが4メートル程度あるので、動きと均衡の危うさは、見ているわたしたちの身体感覚をダイレクトに刺激する。

            水本修二「空間関係」反対方向から(撮影 細井篤)

わたしは、水本の北海道に設置された「空間関係」の画像を見ながら、リチャード・セラの彫刻やジョルジュ・スーラの絵画を想いおこさないわけにはいかなかった。
見ているわたしたちと同じ日常的な場に置かれて、ダイレクトに身体感覚を刺激するのが、リチャード・セラが、1977年、カッセルのドクメンタⅥ展でフリティツアヌム城前に設置したランド・マーク「ターミナル」。
ドクメンタⅥ展ではフリティツアヌム城内の小部屋に置かれた原口典之のオイルの作品と並んで、とても印象深かった。あるいは、アムステルダムの市立美術館のテラスから見た鉄板を組み合わせて立てられた同じようなセラの彫刻。
セラの他のシリーズ「プロップ(支え)」も同じように、わたしたちの身体感覚に訴えかけてくる。
水本の「空間関係」よりももっと激しく身体感覚を揺すぶる。

       リチャード・セラ「ターミナル」カッセル、ドクメンタⅥ、フリティツアヌム城前

「空間関係」は、天から舞い降りてきた天女のような軽さと、さりげない日常的な束の間的な動きとを感じさせないだろうか。そして、軽さや束の間の一過性が、それとは逆の、不動の永遠として凍結されてしまったようにも見える。
そうだとしたら、唐突なようだが、わたしは、ジョルジュ・スーラの「シャユ踊り」を連想しないわけにはいかない。空間を巻き込む踊り子のスカート、それを支え、あるいはもたれかかるかのような画面左側の垂直の柱や手前の固い弦楽器奏者。日常の猥雑な動きと歓楽が、それとは正反対の永遠の中に封じこめられている。
「空間関係」とそこが似ていると思う。

             ジョルジュ・スーラの「シャユ踊り」

ダイナミックな空間生成と身体感覚の喚起。
水本修二はこの二つによって彫刻のあらたなカタチを提示したのである。
今は、戦後、彼がそこで育った故郷、子府町で、土地の光を浴び、風に包まれて伸びやかに立っているような気がする。
「ダヴィデ」や「自由の女神」のようなモニュメントとしての意味がまったくないわけではないが、個人的なモニュメント性に限られている。しかし、訪れる人に、いわば、「からだ」で話しかけ、その前に立つ人と空間の豊かな広がりを共有しつづけるに違いない。
(はやみ たかし)

            水本修二「空間関係」こどもの城での設置光景

) 東京、青山の「こどもの城」解体にともない、設置されていた水本修二「空間関係」は、北海道北見市近郊の訓子府町レクレーション広場に移動設置されました。
訓子府町は水本が育った場所。
今年、1028日の設置記念の除幕セレモニー、講演やシンポジウムに参加した武蔵野美術大学の伊藤誠さんから知らせていただきました。
伊藤さんと同じく、水本修二の武蔵美での教え子で彫刻家の細井篤さんを中心とした関係者の方々、訓子府町のみなさまなど、多くの方々の努力の結果です。
わたしは伊藤誠さんから送られてきた写真でしか訓子府町の展示の様子を、いまは、知ることはできません。
写真を見た限りでは「こどもの城」の頃の何かを遮っているといった風情とは違って、周囲の風景と溶けあっているように思われるのです。

1028日、セレモニー後、文化芸術講演会・シンポジウム「芸術がひと・まちにあたえる力」が訓子府町公民館で開催されました。

講演
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講演「水本修二氏の彫刻界における功績と作品」講師 武蔵野美術大学講師 細井篤
 
講演「芸術とひとづくり・まちづくり」
講師 武蔵野美術大学教授 伊藤誠
シンポジウム
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武蔵野美術大学教授伊藤誠氏(彫刻家) 、小川研(北見市 画家)、大幹(町内
キルト・パッチワーク作家)、宮川真智(町内)、*コーディネーター=武蔵野美術大学講師・細井篤