2017年2月9日木曜日

田中信太郎「無域」ー非在の物質

見ることの誘惑 第五十回
「非在の物質
 田中信太郎無域(without bounds) 1999年 
          真鍮 260×250×20cm 東京国立近代美術館所蔵

                 田中信太郎無域

田中信太郎の「無域」は東京、銀座の東京画廊で1999年に初めて展示された。田中自身の「マイナー・アート」とならぶ秀作だとわたしは思う。
201612月に東京国立近代美術館の常設展示で、三木富雄の「耳」を見た直後で、しかも、そこに展示されているとは思わなかったからなのだろうか、見た瞬間、ハッとなってしまった。
「無域」は壁に置かれた十字形。十字形の垂直軸は、展示場の壁に開けられた出入り口と平行している。十字形の水平軸は床に平行している。

遠くからだと何の変哲もない十字形に見える。
物質感を感じさせない。垂直と水平の方向だけを指示している。だから、十字形そのもの以上に、それに平行した出入り口や床を含めた背後の壁の広がりをより強く感じさせられることになる。
言い換えると、十字形はそこにそのように存在しているのに、物質感が削減されて抽象化された方向を指し示すエレメントとしての線になっているといってもいいだろう。
だから広がる壁がより強く感じられる。前景の十字形は仮象の線で、背景の壁が現実の空間になる。

                田中信太郎無域

近づいてよく見ると印象が違ってくる。
十字形の軸の太さが違う。物質だからだ、ということがわかる。
十字形の垂直軸は床に接している。逆に言うと、壁を背にして床から立ち上がっているのだ。だから、やはり物なのだ。
物質感のない十字形というイメージは遠のく。床に置かれた物なんだと、あらためて実感させられるばかりだ。
ただ、ここでも、十字形は壁や床を空間として感じさせる「引き立て役」のままだ。

              田中信太郎無域」 細部

さらに注意して、細部を見てみる。
水平軸は丸い断面の細い円柱、垂直軸の上は三角の断面の三角柱、そして下は正方形の四角柱。
クロスの中心部がわかりやすい。
円柱が四角柱を突き抜け、三角柱は四角柱に突き込まれている。物相互の接合の状態だ。
しかし、わたしたちは、円柱と三角柱、四角柱を、◯、△、□だと、それぞれの切り口に即して見てしまう。そうすると、この三つの柱は抽象的な◯、△、□としてイメージされることになる。
十字形の交差部では、いかにも金属という物の感じが強い。
にもかかわらず、非物質的な◯、△、□とイメージしてしまうと、物は遠のいて、物が抽象化された非物質的なエレメントとしての◯、△、□が、わたしの視野に浮上してくる。「寄る辺なき身体(物)」といった風情ではないか。
再び、十字形の交差部に目をやると、接合状態を通して、金属という物がわたしの視野を占める。エレメント◯、△、□は遠のいていく。身体(物)を失った蜃気楼のような◯、△、□だ。


◯、△、□は、20世紀に発明された抽象の定番だ。具体的な物の形を還元し、抽象化してエレメントにすると◯、△、□になる(*注1)
周知のように、抽象絵画の創始者ピート・モンドリアンは、具体的な自然を、色に関してはエレメントの3原色、赤、黄、青に還元し、形では垂直と水平の二つの方向のエレメントに還元した。
つまり、自然の物を非物質的なエレメントとしてとらえ直したのだった。

なぜそうしたのか。非物質的になればなるほど「精神性」に近づくからだ。わたしたちが生きている世界の中で、見たり、聞いたり、触ったりなどの五感で感覚できるもののすべては物質だ。
20世紀の抽象絵画がめざしたのは、感覚できる物の世界を越えた「精神性」だったのである。
物質を越える精神の勝利、20世紀のキャッチコピーだ。同時に「人間性」の高揚を意味していた。

ピート・モンドリアン ニューヨークシティ1 1941年
油彩、着色した紙 未完成

「精神性」のもっともピュアな状態が「神」。だから「神」は見たり、聞いたり、触ったりなどの五感では感覚できない。見えないのだ。
逆に言うと、「見えない」により近い方がより「精神性」に近いということだ。
しかし、美術作品は見えなくては美術作品として通用しない。美術家のジレンマはここに集約されていた。
見えなくなれば「精神性」により近づく。でも、美術作品は「見える」ことが前提条件なので、見えなくなると美術作品ではなくなってしまう。
感覚可能な物質性と、精神性を実現する非物質性。物質性v.s.非物質性、感覚性v.s.精神性というダブルバイドから自由だった20世紀のアーティストはほとんどいない。感覚性v.s.精神性をもっとわかりやすくいいかえると、視覚性v.s.概念性ということになる。
物質をもとにして、この世の物質の中でもっとも物質から遠い非物質的な金をつくりだそうとした錬金術を想いださないわけにはいかない。


よく知られているように、視覚性v.s.概念性に解答を与えたのは1960年代のジョセフ・コスースのコンセプチュアル・アートだった。視覚性は物質のあり方に左右される。
しかし、たとえば「5」という数字は絵の具で描いても、木で構成しても、いつも指示しているのは「5」だ。
視覚性の違いをつくりだす物質はメディウム(媒体)。
ジョセフ・コスースの「三つの椅子、一つの椅子」は、メディウムは写真、物、ことばと、それぞれ違っていても、指示する概念はただ一つの「椅子」だ。
こうして、コスースは物質によるメディウムと、そのメディウムがつくりだす「見てくれ=視覚性」の違いを越えたところに概念を提示したのだった。
「見てくれ=視覚性」は「見る」で、「概念」は「わかる」ということになる。
わたしは、ここで、<感覚可能な物質性と、精神性を実現する非物質性。物質性v.s.非物質性、感覚性v.s.精神性というダブルバイド>が克服されたと考えている。

それ以後、現在にいたるまで、感覚性と精神性にかかわっていた「芸術」は崇高な場所から移動し、日常化して「アート」ということばで理解されるようになったのではないだろうか。


                                    ジョセフ・コスース 三つの椅子、一つの椅子

田中信太郎の「無域」では、こうした、実在の物質がそこにあることが明らかになっていながら、非物質的で抽象的なエレメントが現れてくるのを認識しないわけにはいかない。
円柱と三角柱、四角柱は東京国立近代美術館のこの壁にある。でも、それらが円柱と三角柱、四角柱に見えているときには十字形は見えてこない。円柱と三角柱、四角柱が◯、△、□やクロスする線に変貌した時に十字形が見えてくる。
壁と床に実在している円柱と三角柱、四角柱という物質は、自分の姿を遠のかせ消していくにしたがって、◯、△、□や十字形というエレメントが現れてくる。


田中信太郎 無域

物質である円柱と三角柱、四角柱は壁と床に場所を占めている。
けれども、◯、△、□や十字形というエレメントは、具体的な壁と床から遊離して、非在の空間に存在している。
おそらく、田中信太郎はこうした事態を「無域」と名づけたのに違いない。
<感覚可能な物質性と、精神性を実現する非物質性。物質性v.s.非物質性、感覚性v.s.精神性というダブルバイド>から遠く離れていることがわかる。

こういう言い方はどうだろうか。
「十字形」ということばは、発音された瞬間、そこにはない非在の「十字形」を降霊術のように眼前に現れ出させる。
田中信太郎の「無域」は、逆に、「十字形」が円柱と三角柱、四角柱をそこにはないものとして非在にするのである。

「無域」のすぐ後の2000年、自然から抽象したはずの◯、△、□を、もう一度、田中信太郎が、自然のなかに解放したのが「越後妻有大地の芸術祭」の機会に、松代駅から川を越えた小山の途中の棚田に設置されている「□の塔と赤トンボ(*注2)だ。
ホワイトキューブの美術館という場所で生き生きとしているのが「無域」だとしたら、□の塔と赤トンボ」はサイトスペシフィックな場所で輝いている。
□の塔と赤トンボは、物質としては錆びていきながら、抽象的なエレメントとしては、いまもなお大空で輝きつづけているだろう。

すぐそばの河口龍夫の、大地と空はくっついているのだということを実感させる「関係・大地—北斗七星」の大地=天空の鉄板の「草=星」と同じように。

               田中信太郎 □の塔と赤トンボ 2000年

            田中信太郎 □の塔と赤トンボ *遠景

             「□の塔と赤トンボ」地点から松代駅方面を見る

              河口龍夫の「関係・大地—北斗七星」

(はやみ たかし)

注1)20世紀抽象の定番、は、セザンヌの球、円錐、円筒とはほとんど関係がないことは注意しておきたい。セザンヌの球、円錐、円筒は、還元的なエレメンタルな立体のことではない。物を見るにときには、視野の中心、つまり目にもっとも近い頂点ができて、その頂点から曲面状に物が遠のいていく。これは、物が立方体だろうが、壁や床のような平面であろうが同じ。球、円錐、円筒はすべて曲面状だ。お椀を伏せた状態をイメージしてみたい。平らな床もある部分を視野に入れるとその中心が頂点になって周りは同心円を描くように遠のいていく。だから、セザンヌの絵画はゴツゴツ、デコボコしているように感じられる。絵画のなかにいくつも頂点があるからだ。だから、セザンヌの球、円錐、円筒は、物や風景の見え方なのではないだろうか。

*注2)田中信太郎 「□の塔と赤トンボ2000年 鉄、ステンレス、ウレタン塗装 1600×500×30cm 越後妻有りトリエンナーレ 十日町市

*「無域」は東京国立近代美術館常設展示から取材しました。
「越後妻有大地の芸術祭」の画像は現地で撮影した写真を使用しました。



2017年1月10日火曜日

山田正亮 光抱く絵画 「endless山田正亮の絵画」展

「見ることの誘惑」第四十八回
「光を抱く絵画」
山田正亮 「Work C-2731966年 162×130cm 埼玉県立近代美術館所蔵

              山田正亮 「Work C-2731966

ペイントストロークの微妙で多様な痕跡が残されたホワイトの表面。
空漠としたホワイトがかすかに波立っている。眼の中で生産される色彩を描いたクロード・モネやアルフレッド・シスレーは好んで雪原を描いた。ホワイトは太陽光の下で多様な色彩を生みだすからだ。モネの「かささぎ」では、ホワイトの雪原にモネの眼がとらえた網膜現象のさまざまな色彩が実際に定着されている。

             クロード・モネ かささぎ 1869年

しかし、山田正亮の「Work C-273」では、見る位置とライトの具合で、ホワイトが光を反射して、ときおり、そこには定着されていない色彩がきらめくばかりだ。描かれているのはホワイトだけ。ほかの色彩は文字通りの網膜現象として、見る者の眼のなかにだけ出現する。

画面の中央部分には眼差しを集中させる形や色がない。
だから、ホワイトの表面は上下左右の画面のエッジに広がっていく。四辺のエッジではグレーの下地がわずかに見える。ムラムラした不規則なホワイトのフィールドのエッジと、それとは異質な画面の規則的な直線の縁。二つが接近と反発でせめぎ合う。
せめぎ合いによって、画面の縁はキャンヴァスという「物体」の縁ではなく、ホワイトのフィールドに拮抗する「絵画」としての形になっている。
マーク・ロスコやロバート・ライマンの絵画と比較すればわかりやすい。

キャンヴァスという矩形の表面は、一方で、ホワイトが描かれることで、ホワイトとは違う色彩をうみだす。ホワイトそれ自体であることで、それ自体の状態からそれ自体とは異なる色彩の状態に変貌する。
もう一方では、矩形の縁は、描かれたホワイトと絡み合って、絵画としての形になる。「物」が「絵」に変身する。

山田正亮は、絵画を、作者の抒情的的反応の道具や、感情移入の奴隷にすることを拒絶する。作者から突き放し距離をおいて、絵画の中から自発的に現れてくるものをとらえようとした。「自己表現の絵画」を拒否して、「客体としての絵画」を掘り起こしたということになる。
あるいは、こんな言い方もできるかもしれない。山田は、絵画という子どもに親(作者)のエゴをおしつけたり、過干渉したりせずに、その子なりの、そして、その子にしかできないオンリーワンの能力を自分で発揮できるように育てようとした。絵画自体の自発的な表現を育む。それが絵画の自律性だ。山田正亮はそう確信していた。

別なポジションから見てみると、これは、突き放しの放任主義ともいえる。だから、絵画は自然の「物」の状態、すなわち「客体」に近づく。生れたままの状態を大切にしながら育んだのだ。その結果、作者の表現性(言いたいこと)は後退して、絵画自体の発言力が増したのである。
こうした事態をアメリカの1960年代のミニマル・アートの作品に見いだしたアメリカの評論家マイケル・フリードは、ミニマル・アートをリテラリスト(文字通りの)・アートと名づけて、それの特徴は「劇場性theatricality」だと指摘したのだった。「劇場性theatricality」とは、普遍的な表現をもたない芸術がもたらす効果だと断罪した。もう半世紀前の出来事だ。そこでは、作品の自律性は逆に失われていく。
フリードが、ここから、「theatricality」に対立する概念としての「没入absorption」を駆使して、ギュスターフ・クールベなどの絵画を読み解いたのはよく知られている。

Work C-273」制作で、山田が自らに課した課題はこうだったのだと思う。
課題=与えられた矩形の平面に、の具で描いて、平面が持っている自的な表現性を引きだして絵画にする。
課題制作の条件=形体と色彩をエコノミーにしたミニマリストな方法を使う。
到達目標=Less is more。見る者の想像力に応じてイメージ豊かな「劇場」になるような絵画。
(はやみ たかし)

*このテキストは次の展覧会から取材しました。
endless 山田正亮の絵画展」東京国立近代美術館美術館 2016126日〜2017212
*早見堯は山田正亮の絵画について「東京国立近代美術館「現代の眼」16.12-17.01」に寄稿しています。参照画像平体文枝「告げる鳥」

*早見堯の評論は次の雑誌でも読むことができます。
ART TRACE PRESS NO.4」 201611月発行、評論6点の特集。
ART TRACE PRESS NO.2」 2014年、「山田正亮特集」

2016年12月11日日曜日

小鶴幸一 Grid Composition 幾何学と繊細さ

 「見ることの誘惑」第四十七回
幾何学と繊細さ
小鶴幸一 「Grid Composition-CVB2016年 85×85cm


             Grid Composition-CVB2016年 85×85cm


小鶴幸一の最近の絵画は「グリッド・コンポジション」と名づけられている。使われる色彩はグリーンとレッド・オーカー、ブルー、それにブラック。フラットな色面とグリッドの組み合わせの様子で多少異なる彩度や明度で使われる。色面とグリッドは、ハード・エッジでフラットな接合や並置にもかかわらず、それとは違う重なりや「ずれ」などを視覚的な現象として生じさせ、画面にかすかな波立ちを与えている。
その結果、凛として爽快、たおやかにして優美な雰囲気がうまれている。ハードで人工的な器にソフトで自然的な気分が宿っているといってみたい。ピュアなのにセンシブルだ。

Grid Composition-CVB」を見てみよう。
正方形の画面が太いブラックの仕切り線でグリッド状に四分割されている。画面の上下左右の中央に仕切り線が配置されているので、上下と左右とで対称の静的な構図だ。
けれども、他の三つの正方形よりも大きい右上のグリーンの正方形は、画面のフレームにかかっていて、他の三つと違い、上と右に向かう広がりを感じさせる。そうすると、左下のホワイトの正方形と対角線上で関係づけられる。それにともなって左上のグリーンと右下のブルーの色面も斜めの関係をもつ。
右上のグリーンの正方形によって、対称的な基本構図がわずかに差異化され、ずらされて、静謐なままで、それとは異質なかすかに揺れる収縮と拡張のリズムをかもしだしている。
東京のギャラリー58で、これと同じ構造でサイズの小さい絵画を見たとき、わたしは、なにげなく、根津美術館にある尾形光琳の「燕子花図屏風」を連想してしまった。なぜなのだろうか。

                                               尾形光琳「燕子花図屏風」6曲一双の右隻

「燕子花図屏風」は金地に緑青のグリーンの葉と群青のブルーの花弁が細いブラックで縁取られている。グリーンとブルーの燕子花は、光をたたえた金地の平面上で重なったりずれて融合したりしながら配置されている。厳しいフラットな構図のなかで、燕子花は優美なリズムをたずさえながら凛として息づいている。こうした雰囲気が「Grid Composition-CVB」に「燕子花図屏風」が、わたしのなかでずれながら重なった理由なのかもしれない。

Grid Composition-NUB」はどうだろうか。
                                         Grid Composition-NUB」2014年 164×68.5×4.5cm

Grid Composition-CVB」とは反対に、垂直方向で建築的に構図がつくられている。視線を分散させ面の境界をやわらかくするブルーの縦長の色面に、視線を透過させるが、形にメリハリをつけるブラックのより縦長のグリッドが、寄り添うように並置されているので、色面とグリッドが前後で重なっているかのようなイリュージョンが生まれている。
画面上方ではグリッドが後ろで色面が前、それ以外ではグリッドが色面の前にあるかのように見える前後での重なりと「ずれ」。しかし、それは、画面の最下部で色面とグリッドが水平にそろえられていることでフラットにバランスをとり直している。大地に根づいた巨木や高層建築に似た雄大で力強く、それでいて、伸びやかな開放感が生まれている。
Grid Composition- NUB」は、人工的で幾何学的なハードな構造体が、自然的で「繊細」なソフトなフィーリングをたたえているル・コルビュジエの建築にとてもよく似ている。
ここでは、理性的なものが感性的なものと、あるいは、幾何学的なものが「繊細」なものと絶妙なバランスで共存している。

ここで、こんな逸話を想いだしてみたい。
理性的なエレメンタリズムのアブストラションを創始したピート・モンドリアンは、大戦のさなかの1940年、ニューヨークに移り住む。「アメリカで見たもっとも興味深い作品」だとモンドリアンがペギー・グッケンハイムに進言したのは、ジャクソン・ポロックが反理性的なオートマティスムを応用して描いたモンドリアンとは正反対の「速記の人物」(1942)だ。

                             ジャクソン・ポロック 「速記の人物」 1942年

ペギーの二十世紀美術画廊で開催された「ヤングアーチストの春のサロン」展(1943)で展示された。モンドリアンは自分の絵画の外観とは逆のセンスももっていたわけだ。
ル・コルビュジエと同じように、モンドリアンは、理性と感性、幾何学と「繊細」とのバランス感覚が絶妙だったのである。
小鶴幸一の「グリッド・コンポジション」は、絵画のこうした場所に位置している。

(はやみ たかし)
*このテキストは次の展覧会図録のために書かれました。
「小鶴幸一展」ギャラリー58  201695日〜10日 東京
       ギャラリーとわーる 20161115日〜27日 福岡