2011年7月12日火曜日

第6回 岡本太郎「空間」 1934年/1954年再制作

ポールは翻る旗を支えられるのか

                               岡本太郎「空間」 1934年/1954年再制作 
                               油彩・キャンバス 114.3×91cm 川崎市岡本太郎美術館

布状の不規則な形態と棒状の直線的な形態とが左右に並置されている。布状の形態は左上から右下へ向かう動きと左下から右上へ向かう動きと、相反する動きを感じさせる。
棒状の形態は上部を基点にして右から左に振れているのだろうか。それとも下部を基点に左から右に振れているのか。単純なので両義的だ。

左側では平面的なかたちが不規則にカットされ、グラデーションを施され裏が見えているだけで蠢く布状の有機的な生命体になっている。右側には幾何学的な直線が具体的な実在の棒に変貌している。
布状形態も棒状形態も、どちらともとれる両義的な動きと、抽象的で幾何学的な形態と生命的だったり実在的だったりする具体的な形象との間でゆれている。

今年、東京国立近代美術館「岡本太郎展」で「空間」を見たとき、わたしは自宅の近所にある武者小路実篤記念館に飾られている絵を想いおこしていた。
実篤の筆による南瓜(かぼちゃ)と胡瓜(きゅうり)の絵だ。「仲良き事は美しき哉」との添え書きもある。球状の南瓜と棒状の胡瓜。太郎の布状生命体と棒状実在体に似ていないだろうか。南瓜と胡瓜、布と棒は、そう思われがちなように、互いに異質な、もしこういってよければ、岡本太郎風「対極」的なものなのだろうか。そうではない。位相変換としてとらえると両方とも同じ「構造」体だ。見かけは異なっていても実は同じ。太郎も実篤も同じことを考えていたのだと思う。

唐突ながら、シュルレアリスムのキャッチ・コピー「手術台のミシンとこうもり傘」も実は異質どころか、尖っているところなど似すぎている。
太郎が10年に渡るパリ滞在中に描いたほとんど最初の優れた絵画だからといって、後年、太郎が唱えた「対極主義」に通じるものがあるなどと先入観で見るべきではない。

布状の形態は日本の伝統的な「筆意」を通した形の生成を感じさせる。それが、当時、パリで流行していたハンス・アルプなどのバイオモーフィック・フォーム(生物学的形態)に近似しただけなのではないのか。実際、太郎は60年代以後、書道的運筆の「筆意」による絵画に向かった。北大路魯山人が弟子入りした「版下書きの名手」で町書家の岡本可亭が太郎の祖父だったことを、しかし、今、想いだすべきではない。
ただ、見落とすべきでないのは、これら二つの布状と棒状の形態の「形象性」以上に、暗く塗りこめられた背景が、これらの「形象」によって平面的なのに無限の空間だと感じさせられることだ。だからタイトルが「空間」なのだろう。

さらに、棒状形態は「形態性」よりも画面を斜めに方向づける「構成性」として注目すべきだ。斜めであることで、布状の形態の不規則で不安定な動きに半ば拍車をかけ、それを半ば抑制している。翻る旗を支えるポールとして機能しているのである。
右上から左下に向かう対角線状の構成法と、その対角線を機軸にしてそれに反発したり貫入したりする「筆意」から生まれてくる形象の配置。太郎のほとんどすべての絵画の基本だ。「空間」から確実に見えてくるのは、太郎の絵画を太郎の絵画にさせている形態を形象に変貌させる「筆意」と、ダイナミックな動きをもたらす「対角線状の構成法」である。

「空間」を時計方向に90度回転させると、シュルレアリスムのイデオローグ、アンドレ・ブルトンをも魅惑した「傷ましき腕」(1936年/1949年再制作)に位相変換される。・・・、あなたは納得できるだろうか。
わたしには、「空間」は、秀作の誉れ高い「重工業」(1949年)や「森の掟」(1950年)、それを展開した「燃える人」(1955年)、そして巨大な「明日の神話」(1968年)など太郎の大半の作品に二重像となって現れてくる。