2012年6月25日月曜日

クリエイティブの力-「信用」と「価値」



グローバル化して世界が一つにつながる。それに反比例して人と人との「つながり」が失われていく。古いコミュニティ(集まり、共同体)である「村」はなくなってもそこに群れる人だけがつながる「ムラ」意識が残り、多くの人がつながる新しいコミュニティは未成熟。つながりをもたない孤立した「ひとり」が広がっていく。日本の社会に活力を与え直すことができる「つながり」をどうしたらとりもどせるのか。「つながり」のある新たなコミュニティをどう再構築するのか。わたしは昨年ここでこう問いかけた。
クリエイティブにかかわる者は、つねに「わたしはなにをしたいのか」を自分に問いかけながら「わたしはなにをすべきなのか」を探っていくことが重要だと、わたしは考えている。自分の<存在の根拠>と自分の<社会的役割>とをできるだけ重ねあわせるようにしたいからだ。
この二つの問いをもう一度とりあげ直して、アートやデザインに関わっているわたしたちのクリエイティビティ(クリエイティブらしさ)を考えてみたい。
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昨年、ここに掲載する文をつくりながらコミュニティの再構築について考えていたころ、エジプトではグーグルのネット(網)でつながった人々によってムバラク大統領の長期政権が崩壊させられようとしていた。それがリビアに飛び火した後、1960年代の世界的な価値の転倒に匹敵するほどの政治的、経済的な変動が連鎖反応的に世界中に燃え広がっていくのを見た。わたしたちが東日本大震災の惨事に飲み込まれてしまったのは、その後すぐ、文が掲載された作品集が刊行されてまもなくのことだった。
東日本大震災以後、「つながり」はさらにいっそう求められるようになった。今年のキーワードは「糸」ヘンだといわれる。「絆」「縁」「結」「紐」「綱」「網」など「糸」に由来して「つながり」を意味する漢字だ。わたしは「糸」へんに、「信」「介」「伝」「作」「来」「価」「値」などの人と人とのかかわりを示す「人(にん)」べんを加えたい。東日本大震災では世界中の多くの人の励ましや支援をとおして「人」と「人」とのあいだに力強くて優しい「糸」、すなわち「つながり」があることを実感することができたのだから。

けれども、もう一方では人と人との「こころ」のつながりが見えなくなり「信」用不安が世界を覆っていることに気づかないわけにはいかない。EU経済圏での金融危機が典型的だ。アメリカのリーマン・ショックがすでに先例として起こっていた。お金の貸し借りをコントロールする金融市場への依存と、公的な規制から自由になった金融市場の過剰な交通と思いあがりが大きな原因だ。その結果、ものごとの「価値」が変動し不安定になったことを世界中の人が再確認した。
あるものごとにどのくらいの値うちがあるのかという価値は常に一定しているわけではない。ことばの意味はことばを発信する人とことばを受信する人とのその時その場での関係、つまり文脈(コンテクスト)によって決まる。思想家のヴィトゲンシュタインがそれを「日常言語の規則は事後決まる」、すなわち、ことばの意味はことばがやりとりされた後で決まると指摘したのはよく知られている。
価値も同じだ。「価値」の「価」の右側のツクリは「賈」が元で、人が品物を「売」というのが本義。そこから「ねだん」という意味になったようだ。「値」は「直」がまっすぐ立つことで、人がぴたりと位置に「あてはまる」ことから「ねだん」を意味するようになったといわれている。「価」も「値」も「ねだん」のようだが、人と人、人と品物との関係、あるいは文脈によって「ねだん」が決まるところがポイント。世界各国の国債のランクづけを思いだしたい。
カール・マルクス以後の経済学の分野で「価値の幽霊的性格」といわれてきたのはこのことなのだろう。商品の価値は物それ自体として使われる安定した自立的な「ねだん」以上に、商品の売り買いが交通する市場という文脈で、その時その場でのやりとりによって変化する「ねだん」で決まる。
もともと不安定であるほかはない価値が決定される場合、市場でもっとも重要なのが信用だ。「信用」の「信」は人の「言(ことば)」。嘘をつかないのが正しい社会のきまりだから「信」は「誠実」を意味するようになった。人と人とのあいだで「誠実」が確認されて信用が成り立ったとき初めて「ねだん」、つまり価値が定まる。「信用秩序などの社会的事前確率」とEU経済圏での金融危機に対していわれているのはこうしたことだ。

けれども、「信」にはもう一つの場面がある。「信」の「言」は「申」に通じている。「申」は二つの両手をまっすぐ伸ばして重ねあわせること。そこから「信」は、人と人との「言(ことば)」と「意(こころ)」とがぴたりと重なることを意味するようになったというのだ。・・・なるほど。その時、人と人とが「つながる」にちがいない。
ここまでで、「糸」へんも「人」べんも、人と人、人と物との「つながり」や状態を意味しているのだということを、わたしたちは理解することができた。「つながり」や関係は、その時々の文脈の違いで変化する不安定な「価値」をうみだす。人と人とのあいだで「言(ことば)」と「意(こころ)」との一致が確認されたときだけ「信用」がうまれ、「信用」をもとにして「価値」が安定するのだということを忘れないようにしたい。
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価値の前提になる「信用」。「信用」の「信」の「言(ことば)」と「意(こころ)」とが不安定になって大きく揺れたのは今だけではない。ルネサンス芸術が花開いたイタリアの15世紀から16世紀にかけて、華やかな芸術の背後で権力者の思いあがりとそれに対する民衆の信用不安とが西欧をおおっていた。
フィレンツェのアカデミア美術館にミケランジェロの「ダビデ」像(図版1)が展示されている。ペリコンテ大理石から彫りだされたイタリア・ルネサンスの優れた彫刻だ。ダビデはユダヤ人の敵ゴリアテとの戦いを前にして身構えている。古代ギリシア由来のコントラポストの動的なポーズは造形的に完璧だ。戦いに勝てるという自信と勝てないかもしれないという不安とが交差しているユダヤ人の最初の王にして英雄ダビデの様子に、わたしたちは自分と同じような人間性を見出して安心と勇気をえる。強いダビデでさえこうなんだから、弱いわたしは情けないままではなく強くなれるかも、と。
ダビデ像はミケランジェロ以前には、戦いに勝って切り落としたゴリアテの首を踏みつけている形式で表現されてきた。ミケランジェロはどうして戦う前のダビデとして彫刻したのだろうか、と疑問がわく。

このダビデ像は、1870年にイタリアが統一された後にアカデミア美術館に収蔵された。それまではルネサンス時代のフィレンツェ共和国の政庁舎、ヴェッキオ宮殿(現在はフィレンツェ市の市庁舎)前の、今はレプリカが置かれているシニョーリア広場に面したテラスに置かれていた(図版2)
彫刻は本来、造形的な鑑賞美術品ではない。なにかを記念するモニュメント(記念碑)の役割を果たしている。日本の仏像も鑑賞美術品ではなく手をあわせる礼拝像だったことを想いおこしておきたい。
ミケランジェロのダビデ像は、16世紀の初め、荒廃したフィレンツェ共和国を再興しようとしたフィレンツェ国民の願いの象徴として企画された。
15世紀末、フィレンツェ共和国はフランス軍の侵入、それまでフィレンツェを支配していたメディチ家の失脚、そしてメディチ家逃亡後のサボナローラのキリスト教原理主義的な締めつけといった三つの過剰と思いあがりとによって崩壊寸前となる。これら三つの敵に立ち向かう国民の意志の象徴としてつくられたのがダビデ像なのだ。
「敵がきたら戦うぞ!」。人々の決意がここにある。だから、ミケランジェロのダビデ像は戦う前の姿でなければならなかった。設置場所はフィレンツェ共和国のもっとも共和国らしい場所がふさわしい。放射状に広がる街の空間的中心シニョーリア広場、共和国の政治的中心ヴェッキオ宮殿前という二つの条件を満たしているのがフィレンツェ共和国時代の設置場所だった(図版2)
ミケランジェロのダビデ像にわたしたちは当時のフィレンツェ共和国の人々の「言(ことば)」と「意(こころ)」を一致させて相互に「信用」しあい、力をだしあおうとする強い「つながり」を読みとらないわけにはいかない。
400年後、青年ピカソは、公的な記念碑ダビデ像を個人的な自分の分身像に置き換えた。1903年の「人生」だ(図版3)。右側の母で象徴される過去から離れ、寄りかかる美神に鼓舞されながら、不安に満ちた中央の未来の芸術へ旅立とうとする決意の表明。過去への惜別と未来への怖れを支えてくれるのがピカソが「つながっている」と信じている芸術なのだ。ミケランジェロ「ダビデ」像の生まれ変わりのようではないか。オフィシャルな表現がプライベートな表現に変わったときに「芸術」というコンセプトが誕生したことを物語っている。
さて、「信用」を乱した最大の原因は、フィレンツェ共和国を栄えさせると同時に長く支配してきたメディチ家がつくりだしたのでは。メディチ家は英語風にMedicineといってみるとわかるように、医薬関係の出自だとされている。しかしメディチ家が台頭したのはローマ教皇の財政管理まで担当したことによく示されているように金融業、お金の貸し借りを牛耳る銀行業の隆盛によってだった。

イタリアのルネサンスプロジェクト15世紀後半のフィレンツェのメディチ家、ローマのローマ教皇ユリウス2世らをパトロンとして推進された。このころのローマ教皇は西欧キリスト教世界の「こころ」の中心であるよりも世俗的な権力の中心という側面の方が強かった。外国の侵入にどう対応するかが重要な仕事だったからかもしれない。
キリスト教の思想や文化をそれとは異質な古代ギリシアの思想や文化と調和させることが、ルネサンスプロジェクトを推進したローマ教皇ユリウス2世の意向だった。15世紀末にフィレンツェ共和国をほっぽって逃亡したメディチ家は1513年にはローマ教皇レオ10世として復活を果たす。レオ10世はユリウス2世的なルネサンスの理想を継続して遂行しようとする。ローマキリスト教の総本山サンピエトロ大聖堂新築のための資金集めとして免罪符を売りだしたのだ。
実体をもっていないのでどんなものとも交換できる「ゼロの記号」である貨幣。貨幣をやりとりして富をえた金融業隆盛時代のメディチ家のコンセプトが幽霊のようにつきまとっている。「信仰」という以上に「信用」ブランドであるローマ教会=ローマ教皇を前提として、免罪符に「価値」を与えようとしたのである。
キリスト教信者という消費者が、目に見える商品としての免罪符を購入し「所有」することで、人間が生まれながらもっている原罪を贖(あがな)い帳消しにできるという、目に見えない機能を「確信」できれば免罪符に「価値」が生まれる。そのためには、免罪符の売り手にして「言(ことば)」と「意(こころ)」の発信者であるローマ教会とローマ教皇に対して、信者が「信仰」をうわまわる「信用」をもっていなければなんの「値うち」も生じない。お寺や神社で購入するお守りを想いおこしておこう。

キリスト教に限ったわけではないが、信仰を市場での商品の交換という文脈でとらえてみるとこんな構図になる。信仰は信者(消費者)と神仏(フェティッシュな商品)とが、「信用」を前提にして寺院(市場)で交通することで成り立つ。ミシンとこうもり傘が解剖台の上で「無意識」を前提にして交通する、シュルレアルな「驚きの美学」と多少似ているかもしれない。
中世キリスト教のイエスとかマリアの図像(図版4)や、日本の奈良時代、そしてそれを再興した鎌倉時代の慶派の仏像などは、その前に立つわたしたちをじっとみすえ、わたしたちに話しかけ「こころ」の「つながり」へと誘(いざな)っている。たとえば、ギリシアにある敬虔なギリシア正教徒に守られたアトス自治修道士共和国のプロタトン聖堂の聖母子。信者と神とのインタラクティブな会話、相互の「こころ」の「つながり」と「信用」があって初めて信仰が生まれることを証明しているのである。
レオ10世のようなローマ教皇は、信仰は相互の「信用」によって成り立つことを忘れ、ローマキリスト教という「信仰」ブランドをローマ教会=ローマ教皇の「信用」ブランドだと勘違いしていたのだろう。「価値」は「信用秩序などの社会的な事前確率」によってしか生まれないという近代経済学の大前提に気づくことはない。今、世界に蔓延している信用不安による金融危機と同じ構図だとわたしは思う。

ローマ教皇のこうしたキリスト教のブランド性=権威にあぐらをかいた思いあがりによる「信用」構築の怠惰は、ローマ教皇がパトロナイズしたルネサンス絵画にも別のかたちで現れている。
そこではマリアとイエスが絵画のなかで親子の対話をしているばかりで、絵画の前に立つ観客を見て観客と直接つながろうとはしてはいない。西欧美術史ではここに近代的な自律した絵画の萌芽を見た。けれども、信仰の立場からすると、絵に描いただけの信仰への後退、すなわち信者と神との「言(ことば)」や「意(こころ)」の相互交通によって生まれる「信用」にもとづいた信仰が失われたことを暗示しているのではないだろうか。
教皇や当時の権力者に支援されたラファエルロの聖母子像は、描かれたマリアやイエスとそれを見る信者との絵画の前での「つながり」の不在が、絵画とそれを見る観客の「つながり」へと置き換えられて、信仰の対象から美的鑑賞の対象という自律的な絵画に変換されて登場していたのだ(図版5)
免罪符発行を契機にしたローマ教会=ローマ教皇への「信用不安」は、印刷術の勃興による聖書の広範な広まりにともなって、1517年、聖書にもとづいて信仰を再構築するマルティン・ルターの宗教改革に発展した。「記号の商い」である金融に振り回されることなく、聖書の「言(ことば)」と「意(こころ)」に真摯に耳と目を注ごうとしたのだった。今、世界をおおっている金融危機と信用不安の次のステップが見えてくるような気がするのは、わたしだけだろうか。
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信用不安は、目下、イランの核兵器疑惑でも盛りあがっている。かつてアメリカはイラクのフセイン大統領に対する大量破壊兵器製造疑惑にもとづく信用不安から湾岸戦争を引き起こした。北朝鮮やイランは人が人を信じることができない人間の性向に働きかける。人間の見えない「こころ」に見せない核兵器をほのめかす。対象が見えなくて不在のときだけ想像力が働き、対象が現に目に見えているときには想像力は働かない。ノーベル賞を拒否したジャン=ポール・サルトルが的確に指摘している。見えないために想像力や妄想力は過剰になる。同時に、見えないものは「所有」できない。だから壊すことも奪うことも買うこともできない。見えなくて「所有」もできない究極は純粋な精神である神だろうが。自分ひとりで「所有」することはできないが、多くの人と「共有」することだけが可能だ。

こうした「所有」を拒否し目に見えない「信用」だけを「共有」させる美術作品が、「神」に張りあうかのようにして現れたことがあった。1960年代に登場したコンセプチュアル・アート(概念芸術)だ。
目に見えるビジュアルを大前提にしているのがアートやデザインであることはだれでも知っている。それなのに、目に見えているビジュアルを意味のないものにしてしまったのがジョセフ・コスースの分析的コンセプチュアル・アートだ。
「三つの椅子と一つの椅子」で知られるジョセフ・コスースの東京都現代美術館に所蔵されている「三つのシャベルと一つのシャベル」(図版6)はわかりやすい。写真のシャベル、実物のシャベル、辞書のシャベルの項目を拡大コピーしたことばによるシャベル。三つのメディア(材料、コミュニケーションの形式)の異なるシャベルが並んでいる。メディアが違うということは見え方が違うということだ。美術ではつねに見え方=ルックス(ビジュアル)の違いがもっとも重要だった。
ルックスの違いは美術作品が物だから生じている。だから、唯一無二の物としての「この」作品を「所有」することに「価値」がある。美術史も見てくれのスタイル(様式)の違いで美術様式史を美術史として織りあげてきた。
けれども、コスースの作品では、メディアの違いによる見てくれすなわちビジュアルを通して「見える」シャベルは三つとも違うのに、「わかる」ことは一つのシャベルという名称なのである。三人の人間は三つの個性をもっているが人間としては一つだということと似ている。個性と人間、どちらに焦点をあてるのかの違いだ。
言語学のフェルディナンド・ソシュールの指摘にしたがえば、シャベルということばはシャーベットや喋る、キャベツといったことばの空間のなかで、ほかのことばとは違うことばだという差異だけが支配する記号なのである。コスースの「三つのシャベルと一つのシャベル」は、見たり眺めたり撫で回したりして「美的快楽」をえることや、「世界にたった一つの作品」だからと「所有」して手にもって豊からしく微笑むのにはあまりむいていない。

機能を追及したモダンデザインの究極は、物の色やかたちを目に見えるようにデザインすることではなかった。使うことができる純粋な機能だけになって目に見えないものになること。それが、より良い機能、すなわち機能の純粋化を追及してきたモダンデザインの論理的な究極の理想だ。そういうポジションからすると、電子マネーはモダンデザインの究極の姿といえるだろうか。違うだろう。
モダンアートはメディアの違いによって変わるビジュアルの見てくれを重視してきた。ビジュアルはメディアの違いで決まる。だからメディアを純粋にすることにいそしんできた。「三つのシャベルと一つのシャベル」は写真、実物、ことばの三つのメディアによるビジュアルの違いよりも、色やかたちのないただ一つの名称=概念としての「シャベル」を際立たせる。
だが、それが成り立つのは「見る」という視覚のレベルではない。「わかる」という認識のレベルなのである。「見る」より「わかる」が優先する作品は、わかってしまえばもう見ることの美的快楽は無用だ。「わかる」は物として「所有」することができない。多くの人々と「共有」してはじめて意義が生まれる。

これを流用展開したのがベネトンの黒人、白人、黄色人種の心臓を並べた広告だ。物として「見える」肌の色であるビジュアルは三つ違っても、コンテンツとして「わかる」心臓は一つで同じ。人種差別意識を根底から覆す広告ではないか(図版7)
コスースは、こうして、「所有」のために文化的な物として市場で売買される美術作品を、「見る」物から「わかる」概念へと置き換えた。その結果、美術作品を美的快楽や「所有」を拒絶した、人々が「共有」することしかできない「考え方」にしたのだ。消費資本主義社会への批判ではないか。
「所有」を拒否するコスースの「三つのシャベルと一つのシャベル」が、では、どうして東京都現代美術館に「所有」されているのだろう、と、あなたは疑問に思うだろうか。疑問はとうぜん。でも、コスースの作品は、ビジュアル=メディア万能と信じられてきた「美術作品」を、ビジュアルを機能させなくても「美術作品」が成り立つのだとして、「美術作品」への考え方を根底からゆさぶった。だから「信用」と「価値」をえることができた。
「見る」は物だが、「わかる」は物ではない。「所有」できるのは物だけだ。美術作品は色やかたちを感覚的(美的)に味わう美的快楽の対象だと考えてきたわたしたちの意識をくつがえす。消費資本主義社会の「所有」の欲望を脱臼するとてもスリリングでクリエイティブな行為なのである。「価値」をひっくりかえしたのだから。クリエイティビティ(クリエイティブらしさ)にあふれてはいないだろうか。

コスースがそうであるように、クリエイティブであるとは偏見や先入観を捨てて自由な見方考え方ができることと、それまでのものの見方考え方、意識を変革するというプリンシプル(原理原則)をもつこととが出発点だ、とわたしは信じている。岡本太郎の「今日の芸術はうまくあってはならない、きれいであってはならない、ここちよくあってはならない」という「ならない」三ヶ条はクリエイタープリンシプルでもある。「へたであれ、きたなくあれ、不快であれ」とはいっていないことも心に留めておきたい。いまや、こうしたクリエイティブな態度は芸術のアヴァンギャルドが失われて以後、セールスマンと化したアーティストが輩出するなかで、「信用」をえているクリエイターによって保持されているのかもしれない。
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今年1月に惜しくも亡くなったデザイナーの石岡瑛子。わたしたちの意識を変えるクリエイティブをおこなってきた。
もっともわかりやすいのは、デザイナー時代の資生堂のビューティケイクの広告だ。右肩上がりの急激な高度経済成長を背景にポジティブになる女性の姿をビジュアル化している。東京オリンピックのころにつくられたそれは、資生堂が山名文夫(やまなあやお)の時代から主張してきた、世の中で「半歩前」に進んだ女性像を提示していた。ハワイの海岸でじっとこちらを凝視する水着姿の前田美波里。挑発する女性像だ(図版8)
女性の権利回復を要求するフェミニズム運動が先進諸国で起きつつあったころの1970年代、パルコの広告でのディレクションによる「モデルだって顔だけじゃだめなんだ」と資生堂よりもはるかに強くわたしたちの眼前にたちはだかる女性(図版9)。時代のトレンドという現実を鋭く見すえながら遥かな理想を描く。自分の身辺半径3メートル程度のプチ日常をプチビジュアルに変容させるいまどきのアートとはかなり違う。岡本太郎の三ヶ条も少しだけ添加されている。それが、自律的存在としての芸術とは異なる、他律的存在としての広告の限界でもあった。限定された条件、あるいは広告という束縛を逆用して、いかにクリエイティブな先端性をたせるか。戦略はアートと同じだ。広告デザインもその限界を押し広げることでクリエイティブな力を発揮することができる。
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わたしは、この文の冒頭で次のように書いた。
「クリエイティブにかかわる者は、つねに『わたしはなにをしたいのか』を自分に問いかけながら『わたしはなにをすべきなのか』を探っていくことが重要だと考えている。自分の<存在の根拠>と自分の<社会的役割>とをできるだけ重ねあわせるようにしたいからだ」。
石岡瑛子は、自分の<存在の根拠>になる自分の考えを広告という<社会的役割>に、できるだけ重ねあわせようとしていた。そうしたクリエイティブな心の構えがわたしたちの共感をひきおこしものの見方考え方を変えたのだ。
ジョセフ・コスースも美術という<社会的役割>のなかで、メディアとビジュアル偏重の美術をくつがえそうとして、美術の内部に深く侵入し内側から美術の骨組みを変えてしまう。脱構築である。そうしてわたしたちの意識を変えてしまった。
ルネサンス時代のレオ10世は「信用」を構築する努力なくしてはものごとの「価値」もつくりだせないということに気づかず、ローマキリスト教の「信仰」ブランドを信用不安にさせた。それがプロテスタントというもう一つの別の「信仰」ブランドを生みださせてしまうことになった。
クリエイティブであろうとするわたしたちは、「言(ことば)」と「意(こころ)」とが一致する、目には見えない「信用」と「信用」から生まれる「価値」に真摯に向きあうべきだろう。自分のプリンシプルをつねに確認し、クリエイティブの「信用」ブランドをめざして価値を生みだしたい。人と人、人と物との「つながり」や状態を意味している「糸」へんや「人」べんの漢字の風景を想いおこしながら。
(はやみ たかし)
図版1ミケランジェロ「ダビデ」 フィレンツェ アカデミア美術館
図版2シニョーリア広場のヴェッキオ宮殿前テラスに置かれている「ダビデ」像レプリカ
図版3パブロ・ピカソ「人生」 ニューヨーク近代美術館
図版4プロタトン聖堂壁画「聖母子」 アトス自治修道士共和国 カリエス 中世ビザンチン時代
図版5ラファエルロ「美しき女庭師の聖母」 パリ ルーブル美術館
図版6ジョセフ・コスース「三つのシャベルと一つのシャベル」
図版7ベネトン 広告
図版8石岡瑛子デザイン 資生堂ビューティケイク広告
図版9石岡瑛子アートディレクション パルコ広告


注;この文は阿佐ヶ谷美術専門学校卒業修了制作作品集の巻頭文として書かれたものです。図版はここでは省略されています。

2012年6月20日水曜日

ポール・セザンヌ「カーテンのある静物」 1894-1895年 油彩 カンヴァス 55×74.5cm エルミタージュ美術館 空気で触れ、光を撃つ




パープルからセイルリアン・ブルーまでの色味のブルーと、レッドからイエローまでを含んだオレンジ。「カーテンのある静物」はこの二つの色彩が相互に浸透しあい、協奏して高らかに鳴り響いている。わたしたちの感覚を刺激し高揚させる。
テーブルやその上の果物、皿や水差し、テーブルクロスなどでは明るい色調、カーテンや壁では比較的暗い色調で、ブルーとオレンジが展開されている。そこがメインステージだ。同時に、画面のいたるところでブルーとオレンジは葛藤し競合し、そして融和を生成しつづけている。
もっと強くブルーとオレンジが交響曲を演奏している絵画がある。バッロク的力動感にあふれたオルセー美術館の「りんごとオレンジ」(国立新美術館「セザンヌ」展で展示中)だ。これとは雰囲気が違う。視野を狭くし、前景と後景とのコントラストに焦点を移している。狙いを絞った感じだ
ブルーとオレンジ。セザンヌのほとんどすべての絵画に登場する二つの色彩である。空気と光を感じさせるために強調すべき色彩だとセザンヌ自身が語っている。
空気と光の表現はセザンヌだけの問題ではない。西欧絵画の基本だ。漂う空気と散乱する光の厚みを二次元の平面にどう定着させるか。伝統的なヴァルールはこの問題を避けて通るわけにはいかなかった。
伝統的なヴァルールに従う絵画では、空気と光は対象の空間的な存在感を表す道具だった。
「カーテンのある静物」では対象が空気と光に変貌している。テーブルクロスはいつの間にか皿に融合している。手前の皿の左下の縁にテーブルクロスの盛りあがったふくらみが連続し、右側のテーブルクロスはテーブルに上層と下層で透過しあっている。果物は光が転調するオレンジの色彩になって空気のブルーと横方向で連続している。こうした浸透や融合がいたるところで生じているのだ。
セザンヌは対象に空気(ブルー)で触れながら光(オレンジ)を撃っているのである。
注;セザンヌの「カーテンのある静物」は国立新美術館で開催中の「大エルミタージュ美術館展」から取材しました。
(はやみ たかし)

「没入」中の動物を「見る」 高橋由一「鮭」1877年

「見ることの誘惑」第十三回 
「没入」中の動物を「見る」

高橋由一「鮭」 油彩 紙 140×46.5cm 1877年 東京芸術大学美術館

                 *4 高橋由一「鮭」
上野公園は動物の宝庫。
5月のある晴れた日、生きる条件を模索する必要のないアザラシ*1が動物園で惰眠をむさぼっていた。国立西洋美術館の「罠にかかった狐」(クールベ)*2は生きる条件を必死で模索している。アザラシのような「眠り」はクールベの絵画の定番(クールベ「眠る草刈り女」大谷記念美術館)*3

                                               *1 上野動物園のアザラシ

                                               *2 ギュスターヴ・クールベ

                   *3 ギュスターヴ・クールベ

眠っているときは自分のなかに埋没している。マイケル・フリードは「劇場性」とは正反対のこうした状態を「没入absorption」の概念で述べたことがある。生存の危険がないと眠りに没入し、生死の瀬戸際では生をたぐりよせようと懸命に自分のなかに没入する。
東京藝術大学美術館にも動物が捕獲されている。高橋由一の「鮭」*4。とらえられ塩のなかに没入状態で荒縄に吊るされている。江戸末期の月岡芳年の「英名二十八衆句『稲田九蔵新助』」を想いだしそうになりませんか。吊るされた婦女子と刀をもった侍。鮟鱇(あんこう)の吊るし切りに見立てた血みどろのエログロ見世物幕末浮世絵。高橋由一の「鮭」も見世物仕立てで西洋風リアリズムを「どうだ、この迫真描写!」と突き出しているようにもみえる。和魂洋才の極みだ。
東京国立博物館の「ボストン美術館」にも動物はたくさん飼育されている。長谷川等伯「龍虎図屏風」の虎*5。遠くを見ている上野動物園の虎*6と同じだ。等伯の虎は空の龍を見すえて対峙している。六本木のサントリー美術館には虎に似た麝香猫*7(狩野之信「樹下麝香猫図屏風」)が飼育されている。麝香猫も虎と同じ仲間だからなのか、等伯や上野動物園の虎と似たポーズ。
                                           *5 長谷川等伯「龍虎図屏風」の虎 

                 *6 上野動物園の虎

          *7 狩野之信「樹下麝香猫図屏風」の中の麝香猫
                   サントリー美術館

美術館という世間から隔離された檻のなかでは、生存のための戦いを忘れて訓育された上野動物園の動物と同じように、生存の現場から切り離され人工的な部屋の飾り窓のなかで衆人の目にさらされ、かわいい!きれい!おもしろい!などと嬌声をあげさせるくらい、動物たちは見ることに没入する人間の欲望に応え続けている。

第12回 映画「ティファニーで朝食を」 1960年 アメリカ パラマウント映画 記憶と現在


今、なにかを見ているとき、見ているものとかつて見たことのある別なものの記憶とが重なったり混ざりあったりすることはないだろうか。
ポロックの曲線を積み重ねて繰り返された絵画には、ピカソの「ヘルメティックキュビスム」のころの直線を繰り返した絵画が重なる。そこにはさらにモンドリアンの「+-」の絵画が混ざり、フランク・ステラの「黒の絵画」さえ引き寄せられてきそうになる。
ポストモダン風のジャメ・ヴュや既視感、リメイクというニュアンスとはちょっと違う。再生産・再創造といってみたい。
最近テレビで「ティファニーで朝食を」を見た。以前、見たときには現れてこなかった記憶が連想ゲームのように重なり混ざりあってしまった。原作はトルーマン・カポーティらしい。なるほど、と思う。
映画「ティファニーで朝食を」のテーマをたとえばこんな風だと思ってみたい。束縛の側面が強調された「愛」と、それとは異質な「自由」とは、いつ、どこで共存して調和するのか。消費資本主義社会を生きる主人公(ヘップバーン)は、異質なこれら二つを共存させるのはお金だと考えていた。けれども、最後に恋人の駆け出し小説家のことばで覚醒して、お金がなくても「愛」と「自由」が共存して調和する道があることに気づく。ハリウッド映画らしいハッピーエンドだ。
もちろん、これには伏線がある。おまけでもらった指輪にネームをいれることを二人に承諾するティファニーの店員。消費資本主義のシンボルとして設定されていたブランド宝飾店ティファニーは、お金が少なければ少ないなりの「愛」のキューピッドになりうる可能性を示唆していた。
最後に雨に濡れた猫を間にはさんで雨のなかでハグしあう二人。ここにくるとヘミングウエイの短編小説「Cat in the rain」(「われらの時代」所収)がコダマしていることがはっきりする。
Cat in the rain」ではホテルに泊まっているアメリカ人の若い妻は窓からみつけた雨に濡れている子猫を気遣う。夫は同じ気持ちを共有する「愛」よりも、気持ちの共有という束縛から自由になることを望んでいる。本を読み自分の世界に没頭したいのだ。この若いアメリカ人夫妻の間には「愛」がないことがヘミングウエイ独特のハードでドライな文体から伝わってくる。
映画「ティファニーで朝食を」と「Cat in the rain」は正反対の結末を暗示している。しかし、二つは「愛」と「自由」は調和できるのか、と同じように問いかけている。ドライな雰囲気のなかでのウエットな雨と雨に濡れた猫も、この映画と小説に重なりあう。
それから十数年後の1978年、シンディ・シャーマンは「無題 フィルムスティール 15」で映画「ティファニーで朝食を」を再生産・再創造したのだった。
参考;「ティファニーで朝食を」http://www.youtube.com/watch?v=utAGOxLMFlY