2014年5月10日土曜日

尾形光琳「燕子花図屏風」、円山応挙「藤花図屏風」ー立ち上がる、すだれる。舞う、うねる。


inter−text「見ることの誘惑」第二十九回
立ち上がる、すだれる。舞う、うねる。(前編)

尾形光琳「燕子花図屏風」六曲一双 江戸時代 根津美術館 東京
円山応挙 「藤花図屏風」  六曲一双 江戸時代 根津美術館 東京
     
                                   尾形光琳「燕子花図屏風」
右隻

                    

           円山応挙「藤花図屏風」
                                                               右隻


尾形光琳「燕子花図屏風」と円山応挙「藤花図屏風」を見た。

背景の金地の余白を大胆に生かした、共に六曲一双の屏風の名品としてあまりにもよく知られている。
すでに多くの人によって微に入り細にわたって、さまざまなことが書かれている。
あらためて書くほどの新発見があるわけではない。
興味深いと感じたことがあった。

二つが同時に並べられているのを見たのは初めてだった。
似ているけど、なんだか正反対にも思われて、不思議な感じがした。
共に背景の金地の余白を大胆に生かした六曲一双の屏風。俳句の季語としては、藤は春、燕子花は夏のようだ。でも、ほぼ同じ時期に花開く。花の色の紫も同じだ。
けれども、屏風絵の雰囲気はずいぶん違っている。

二つ並べて見たときに感じた違いは、一言で言えば、以下の動詞で要約することができる。
光琳の「燕子花図屏風」は「立ち上がる」、「舞う」。
応挙の「藤花図屏風」は「すだれる」、「うねる」。
このあたりを書き記してみたい。

屏風絵は、右隻と左隻の中央に立ち、屏風の表側に見ている自分の顔を向けて、自分の左側の右隻を見、つづいて、右側の左隻を眺めてみないと、自分自身の身体を軸にした臨場的な実感はえられないのかもしれない。
美術館で見るときは、そういう見方はほとんどできない。
美術館では、距離をおいて屏風に向かい合い全体を見る。次に、近づいて正面から右隻、左隻と見ていくのが一般的だ。
光琳「燕子花図屏風」を右隻の右端から見ていくと、群生する燕子花がリズミカルに動いていくのがわかる。右隻が燕子花の上部が曲線状、左隻では上部が三角形状のリズムが繰り返されている。これはしばしば指摘されてきた。その通りだと思う。

わたしは、それとは別のことに気づいた。
右隻でも左隻でも燕子花の図柄は作り方は似ているが、視野のカットの仕方が違う。
そのために、右隻では、燕子花の群生の中の橋に座って燕子花に取り囲まれながら眺めている感じがでている。
中国宋時代の遠近法、煕の「三遠法」を適用したら「平遠」だろうか。

けれども左隻に移動すると、燕子花の下部は大きくカットされて、上部の視野が開けてくる。
右隻の燕子花の下部で繰り返されていた三角形状のリズムが、左隻では燕子花の上部で展開されている。
右隻から左隻に目を移した瞬間、一瞬、天地が逆転したかのような錯覚にとらえられてしまう。右隻の左端と左隻の右端が連続している感じがあるから、なおさらそう感じられるのかもしれない。

左隻では上部にだけ余白がつくられているので、見上げた時のような、煕の「三遠法」でいえば「高遠」的な空間になっている。
にもかかわらず、右隻の燕子花の下部が左隻の燕子花の上部に移動したかのように思われる。
この場合は煕の「三遠法」でいえば、見下ろす「深遠」ということになるだろうか。
右隻の燕子花の下部、すなわち「近く」が、左隻では、本来「遠く」のはずの上部に移動しているので、「遠く」が「近く」に変貌した感じが生まれているのだ。

簡単に言って、視野が異なる右隻と左隻を、燕子花の上部と下部のリズミカルな展開で整合的に関連づけているのである。
だから右隻から左隻へと順次見ていくと、燕子花が下から上へと競り上がり、奥から手前に向かってくる力動感がある。
この力強さは応挙の「藤花図屏風」と比べて見ていたので、ことさらにそう感じたのかもしれない。

館内の屏風を見てから、園内の庭に群生して咲いている燕子花を見た。
池は下なので、まず、下方にある燕子花の池を斜め上から、少しばかり「深遠」的に見下ろすことになる。燕子花の花が緑の葉の上に浮かんでいるかのようだった。


ところが、次に、池の縁に下りて、燕子花の群生を正面から「平遠」的に見ると、花は葉の間に隠れたり、葉と葉の間から花がちらほらと垣間見えたりすることになる。


そのとき、わたしの視野の中で、今、ここで、目にしている燕子花の光景に光琳の燕子花図が重なってきた。
燕子花図では、燕子花の根元も見えるのに、花があんなにはっきり見えるのはどう考えても不自然ではないか。

光琳の燕子花図は、大地に平行する視線で「平遠」的にとらえた葉に、上から見下ろして「深遠」的にとらえた花や、茎から切り離した図柄としての花を再び組み合わせ直したのだろう。
今、ここで目撃した燕子花が描かれているのではなく、練り上げられ洗練させられて、記憶のなかで生きている燕子花図なのだ。
だから、今、ここで目撃している燕子花よりもより自由になって、図のなかの世界で大きく羽ばたいている。
すなわち、上部に向かって立ち上がる葉の上で、花が蝶のように漂い舞っているように感じられるのだ。
しかも、葉と花は、手前と奥とではなく、同じ平面上で噛み合っている。
力動感が生まれているのはそのためなのだろう。

ところで、燕子花の花が「蝶のように漂い舞っている」と感じるのは、わたしだけではないようだ。
現在、東京国立博物館で展示されている「打掛 鼠地唐織花文網目繋八橋胡蝶模様」(江戸時代)では、光琳の燕子花図と同じ「伊勢物語」第九段「八橋」をモチーフにして、蝶が花と競い合うかのように舞っている。


            打掛 鼠地唐織花文網目繋八橋胡蝶模様 江戸時代

光琳の燕子花図では葉は上部に向かって「立ち上がり」、花は葉の表面で蝶のように「舞い」漂っている。
現実と幻想が混ざりあって共存したシュルレアルな経験だ。

円山応挙「藤花図屏風」は、光琳の燕子花とは違っている。
(つづく)

(はやみ たかし)


注;東京、青山の根津美術館で201456日に取材しました。
注;打掛 鼠地唐織花文網目繋八橋胡蝶模様」は東京国立博物館常設10室「浮世絵と衣装」で、6月15日まで展示されています。